みんなと同じでなくていい。
寺子屋塾は、個性を見つけて伸ばす「人間形成塾」です。

「みんなと同じでなくていい」、これが一番です。子どもは、自分の能力に気付き、その能力を開花させることができれば、自信を持ってそれぞれの人生を歩んでいけるものです。私は、子どもたちと接してきた30年の中で、このことを学びました。

学習塾ですからテストの点数に一喜一憂することもありました。しかし、画一的な教育だけでは子どもの個性は育まれません。人として育つには、勉強だけではなく様々な体験が必要です。塾に集う先輩たちや多様な大人たちとの触れ合いから、子どもたちは、人を思いやり、目上の人を敬い、助け合える温かな心を持つようになります。子どもたちと触れ合う中で、私は「人間形成」こそが一番大事だと思うようになりました。

見守る大人がいるということ

少子化が進む現代日本社会では、子どもは未来を担う宝のはずですが、家庭にも学校にも地域社会にも居場所を見出せない「寂しい子」が増えています。彼らの中には、同学年の勉強に著しく後れをとったり、周囲の人たちとうまく人間関係を結べない子もいます。引き籠もりや自死する若者も後を絶ちません。「自分を理解してもらえる」「自分を認めてもらえる」そんな大人に出会っていないということが原因の一つではないでしょうか。見守る大人がいるということが、子どもたちの心に安心感をもたらします。腰を据えて話を聞き、真摯に向きあってくれる大人がいれば、彼らは自分の持つ力を最大限に発揮し、自信を持って前に進めるものです。

教室に通う子どもとは長い付き合いになります。

教室に通う子どもとは長い付き合いになります。小学生で入会してきた子どもたちが、中学生になっても高校生になっても通い続けます。成人式には晴れ着を見せに、大学生になれば就職活動の悩みをぶつけに教室を訪ねて来てくれます。いつの頃からか私の塾は「人間形成塾」と呼ばれるようになりました。

親も、子どもを産んだからすぐに親になれるというわけではありません。親として学んでいかなくてはならないことがたくさんあります。子どもには親の愛情が一番で、たくさんの愛情を受けて育つと、それが「生きる力」となり、何かの壁にぶち当たっても、それを乗り越えていけるものです。しかし、親も人間ですから、心に余裕が無かったり、仕事が多忙であったりするものです。子育てが一番大変な時期に、実家の母親のように信頼できる経験者がいたり、我が子を託すことができる場所があったら、どんなにか心強いことでしょう。

子どもたちの「居場所」お母さんたちの「駆け込み寺」
それが番來舎です。

子どもたちの「居場所」、お母さんたちの「駆け込み寺」、それが番來舎です。親も子も共に育つ「共育」、周囲のみんなで協力して子育てする「協育」をモットーに、やんわり感のある場を首都圏・東京にも作ります。

私の想いに賛同してくれた有難い仲間も揃いました。講師として学習の指導にあたるのは、震災をきっかけとして私が知り合った様々な大学の学生たちです。少なからず東大生もいますが、単に偏差値が高いというだけではない、思いのある学生たちを私が選抜しました。講師の大学生にとっても「番來舎」は学びの場、成長の場であるという思いで、子育てを終えた大人のスタッフたちが彼らをサポートします。「サロン」では、食育をはじめとした多彩なイベントが開かれ、大人も子どもも学び成長する場になるでしょう。

原発事故により、南相馬市は袋小路の陸の孤島となりました。電車で移動したこともない、切符の買い方も覚束ない子どももいます。都会に出て、大学で学びたいという彼らにとって、初めての都会遠征は勇気の要ることです。未来ある彼らが上京の際には、番來舎が窓口となってオープンキャンパスの案内や留学の相談にも乗れる体制も整えたいと考えています。

私のこれまでの経験を活かして、より多くの子どもたち、より多くのお母さんたちの力になれれば、と願ってやみません。番來舎でお待ちしています。

番來舎 代表 番場さち子

番場さち子 プロフィール

1961年福島県原町市(現 南相馬市)に生まれる。東京の大学に学び、書道教室を皮切りに、30年間、教育に関わる。現在、番場ゼミナール(福島県南相馬市)塾長・ベテランママの会代表。教育アドバイザー。発達障害支援員。上級食育指導士。書道教授。相談に来る母親の多くが心情を吐露して泣いていくことから「面談の番場」「泣かせの番場」の異名を持つ。


  • 卒業生の声
  • 福島県南相馬市「番場ゼミナール」の卒業生たちからのメッセージです。


  • ベテランママの会
  • 2011年3月の震災後に立ち上げられたベテランママ市民団体のホームページです。


番來舎の名前の由来


福沢諭吉が明治の初めに作った萬來舎という建物があります。

萬來舎は簡素な木造平屋の建物だったそうですが、そこには教職員、塾生(学生)、塾員(卒業生)などが集い、権威を問わず志を共にする人たちが、自由に懇談し交流を深める社交クラブでした。

「千客萬來」の意から名付けられたという萬來舎にあやかり、「萬」の字を代表の番場の「番」に変え、多様な方々が集う場になることを願い番來舎と名付けました。